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育児論的なもの [他]

先日幼稚園で講演会がありまして、青木久子先生という方が講師として来てくださいました。
その時の話がとても良かったので、書き留めておこうと思います。
レジュメをいただいたので、本当はそれを書きおこしながらとおもったのですが、なぜか見当たらず!(泣)

あ、青木久子先生のプロフィールについては以下のURLからどうぞ。
http://www.u-bunkyo.ac.jp/faculty/staff/3825.html?id=6&category=13

著書はこちら
http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E4%B9%85%E5%AD%90/e/B004L2EZB8


ええと……どう書いたらいいんだろう。
やっぱり、講演をそのまま書くのは難しい……。
なぜなら、幼稚園のお母さんたちにはそもそもの土壌があるからだし、そういう方向けの講演だったし。
でもいろんな人がいるし、みんなに分かりやすく書きたいし~。

うーん。
ここはやはり、私自身が大事に思っていること、また、幼稚園で私が学んだ話も含めて、私の育児論みたいなものを書くことにしよう!
人とは違うことももちろんあると思いますし、考え方はそれぞれなので、これが正しい、ということではありません。もちろん。
あくまで、私が妊娠してからこの十年くらいでたどり着いたところ、ということです。

まとめると「子育てはなるべく楽に、手をかけず」。です。(笑)




まず、妊娠→出産について。
妊娠は、自分のことであり、こどものことでもあります。
でも、出産は違うと思う。
子どもは「私が生むもの」ではなく「子ども自身が、自分で、生まれてくるもの」。
出来るかどうかも、性別も、生まれてくる日も、その瞬間も、我々にはどうしようもないんですね。
子どもは、子ども。
今、つくづく、子どもって自分自身とは違う生き物で、別々に生きているんだなあと思います。

首が据わるのも、腰が据わるのも、はいはいも、つかまり立ちも、歩き出すのも。
子どもが勝手にやります。ほっといてもやります。
転んでも、泣いても、痛くても、諦めません。
楽しいからです。世界が広がるのが、たまらない魅力だから。
教える必要はありません。ただ、見守るだけ。
危ないからといって手を出すことは、子どもの成長の妨げになります。
大怪我さえしなければ、なるべくやらせることです。

うちにはリビングから畳へ上がるのに、35cmほどの段差があります。
「赤ちゃん、落ちない?!」
落ちましたよ、もちろん。(笑)
でも、そう何度もは落ちません。
ここは危ない、って気づくんでしょうね。
端っこぎりぎりまで来て、落ちかかって、踏みとどまって、はいはいでUターンするのを目撃したことがあります。
ここでも、子どもは勝手に学んでいます。

私は何もしませんでした。
やったのは、「障害を取り除かなかった」ことだけ。
あとは、落ちた時に「ああ、痛かったね。怖かったね」とその気持ちを代弁してやり、抱きしめてやり、ぎゅーっと抱きしめたことだけです。


もう少し大きくなると、しゃべりだします。
これも、子どもが勝手にやります。
長女は一歳半健診の時、「っち」くらいしか言いませんでした。
保健センターの人に「大丈夫よ、お母さん、心配しないで!」と言われましたが、そんな言い方むしろ心配になるわw と思いました。
一歳九か月でようやく「まま」とか言い出した娘は、幼稚園年長さんでも滑舌が悪く、二歳ほど下の妹に発音を直される始末でした。
が、それがなんだっていうんでしょうか。
今は三年生になり、そりゃあもう綺麗にしゃべります。そんなもんです。


先生のお話にこういうのがありました。
「子供の成長段階に即した流れを歪めないこと」(表現ちょっと違います……)
この時期にこういうようなことをするのが普通、そうでなくても、子どもはあとできちんとやり直す。みたいな。
ハイハイをしないで立って歩いた子は、あとになって、自分で何気なく手足の筋肉を鍛えている、みたいな?
(上手く伝えるのって難しいですね)



えっと、いきなりですが。
お箸の持ち方や食事のことについて。

第一段階は、親がしてやる「あーん」を待つ、です。
第二段階は、手づかみで食べる。
第三段階は、スプーンを右手で上から握り、それを持ったまま……左手で食べるw
第四段階は、スプーンですくえるようになる。
第五段階は、スプーンやフォークを下側から握れる。器をもってかっこむ感じです。
そして、これが箸になり、徐々に持ち方が綺麗になり……という感じなんだそうです。
本当はもっと細かくあるようなんですが。

この発育の段階を、その時期に合わせて、つまり成長段階に即して徐々にステップアップするのが自然だし、いいんだそうですね。
名前忘れましたが、手首のとこの骨が、大人だと8~9個くらいに分かれているそうなんですが、三~四歳とか? くらいまでは、四つかそのくらいにしか分かれてないんだそうです。
だから、幼稚園に上がってお弁当だ、箸が持てるようにだとかで、無理に箸を持たせようとしたって、成長段階に即してないんだから難しいんだそうです。
よくある補助つきの箸を持たせると、それでは食べられるようになるかもしれないけど、箸を綺麗に持つこととは違うことだと先生は仰っていました。

また、よくありがちなランチプレート。
大皿で、三種類くらい一気に盛れるやつですよね。うちでも使ってたんですが……。
これ一枚で食事をさせると、当然、皿をもってかきこむ、ということはしませんよね。
お行儀悪いからやめなさい、も言っちゃいがちですよね。
でもこれ、必要な成長段階なんだそうです。
小皿や、茶碗を左手で持ち、右手でかきこんで食べることが、大きくなったときに、左手をちゃんとテーブルに出しておけることにつながるんだとか。
くっ、五年前に聞きたかった……!

三年生とかになってから直すの大変なんですよー。
二年の娘も、補助箸使っちゃってたから、今、持ち方直すの大変だしー。
ちゃんと、その時期に見合ったことを、面倒でも、やらせることが大切なんですね。

こういう、「成長段階に即した育児を」というのが、何度も出て来ました。

別の話。

ぐんぐん成長していく子どもの脳は、大人よりも酸素量を必要とする。
だから、部屋の中の空気では息苦しい。
だから、子どもは寒くても外に出ようとする。

これも、すごく納得する話でした。
幼児期の子供は、室内じゃ育たないんですね。外に出ないと!


また別の話。

おむつも、売る側は、売れるものを作る。
だから、親が楽になるものを作って売る。
おむつも、今は25kgの子が使えるものまで売っている。
アフリカやインドなど、暑い地方では、子どもはおむつをしない。
だから一歳かそこらで卒業。
自分で、トイレはここと覚え、したくなったらそこへ行くようになります、とのことでした。
アフリカの、どこだっけな、忘れましたが、とある子どもたちは、7ヶ月くらいでおむつが取れ……違うな、そもそもおむつしてないんだったw
そして十一ヶ月にして、鉈をもって果物を割って食べる、ということでした。
すげええええ!
やればできるもんなんですねえ。
現代日本の子は、何もさせてもらってないんだなあと痛感しました。
日本では、今どんどんおむつはずれが遅く成っていってるそうです。先生は憂いていましたが、私は別にいいとも思うんですけど、早く外れればその方がストレスないし、お金も安上がりじゃん! とも思います。
子どもが漏らすのが嫌だ、掃除が嫌だ、というなら、ほんの少しそれを我慢して早く外しちゃえば、そのあとは楽になるんだよなー、と。
確かに、ですね。
(……えーと何年だ? 九年か)
九年、おむつを買い続けた私は、もう買わなくていいんだと知った時、狂喜乱舞しました。本当に楽になった。
だからねー。早く外しちゃえばいいんだなあーって。
今更なんですけどね。(笑)


さて。
病気やけがについて。

子どもが病気になると可哀想だから、というのは当然です。
病気しない子にするには、子どものうちに体を鍛えるしかありません。
逆説的ですが、子どもが手の届く範囲にいる内、手がかけられる内、時間を割いてあげられる内に、病気やけがはやっておく方がいいということです。
あと、病院に連れていかない、というか、薬を飲ませたりしないことw
極力! 自力で治してもらいます。
そりゃね……お仕事ある方とか、早く治ってもらいたい! って切実なんですよね。そうだと思います。だから、そう簡単には言えないんですけどね……。
咳や鼻水を止めたり、熱を下げたりせず、自己治癒力に任せる。そういう力が育つ邪魔はしない方がいい。なるべく。
ということです。
あ、これは先生が言ってたことじゃありません。が、多分、先生に聞いてもこう仰ると思います。(笑)
保育園経営者や、幼稚園の先生、色々なところで聞いた話を総合的にまとめたものですが、私の実感としても、とてもうなずく話です。


それから、と。

あとは何の話をしていただいたんだっけかなー。

消費する子ではなく、生産する子を育てましょう、とか。
今はおもちゃを与えられて消費することが多いけれど、何もなければ子供は作り出すものです、と。
丸太と板があればシーソー作るし、木があれば登っておうちごっこをするし……。
何もない方が、子どもは創意工夫を凝らすものなので、モノを与えすぎないようにしましょう。

今って、情報もそうだし、育児グッズとかおもちゃとかも、すんごくあって、何か買った方がいいんじゃ、これがあったら便利なんじゃ、とか色々思ってしまいがちです。
でも、基本何もなくていいんですよねw
昔はみんなそうだった。今は、お友達が持ってるからーとかで、なかなか難しい面もあるけど。
「田んぼで泥遊び」だけでいいんだよなーって思います。
むしろ田んぼ連れてく方が難しいから、おもちゃ買い与える方が楽だから、なるべくいいおもちゃを選んで……みたくなるけど、でも本当はやっぱり大変でも自然の中で子ども自身に遊ぶ力をつけさせる方がいいんだ、と。
自然に触れて、自分の体に染みこませた方がいい。


関連して。
塾の先生への質問で、「理科の本、オススメを教えてください」というのがありました。
それへの返答は「野山に連れて行ってください!」でした。
知識をどれだけ持っていても、最後は自分の体験したことに勝るものはないんです、とのこと。
ああ、あの塾にして良かったと再認識した瞬間でした。


外遊びとかの話の流れで、羽根木のプレイパークの話も出ていました。
日本で初めてのプレイパークで、子どもらは自己責任で遊ぶ、というものです。
詳しくはWikiで検索ぷりーず☆

青木先生は、私らの頃は、落ちたら死ぬぞって崖の上で遊んでいたもんで、そりゃあ危険だったけれど、それが危険だと学んでいた。
今は公園でもどんどん危険な場所がなくなり、子どもが学ぶ機会を大人が奪っている。
危険かどうかの境目が、今の子は分からなくなってる。
いじめもしかり。これ以上やったらどうなるか、が分からないから、喧嘩をさせないようにするから、怪我もせず育つけれど、それが子供の為になるかと言ったら……と首をひねってらっしゃいました。(笑)

園長先生のお話にもあったのですが……。

子どもが歩いていく。
その道に、石が落ちている。
このまま進んだら間違いなく転ぶ。気づいていないし、見えてないし、転んだらどうなるか、分かっていない子ども。
明らかに、痛い目に遭う。
この時、親は石を取り除いてはいけない。
子どもが転ぶのを見守らなくてはいけない。
子どもが痛い目に遭うのを、辛いけれど、親は見ていなくてはいけない。
そして、立ち上がらせてもいけない。手は貸してもいい。
自分で立って、泣きに来るのを、しっかりと抱きとめてやる。
話を聞いてやって、気持ちに沿うてやって、大変だったね、でもよく頑張ったね、と褒めてやる。
そして、また子どもが、子ども自身の気持ちが外に向いて走り出すまで、そこにいてやること。
走り出したら、手を離して(目は離さずに)、見守ること。

こういうことが大事だと、私は思います。


誘惑も、縛りも多く、思うように生きられない人もいっぱいいて、難しい現代社会ですが、本当に大切なことは、実は時代とかに関係なく、そんなに多くないんだと思います。
私は、自分の子が、いつか守ってやれる親がいなくなった時に(まあ大体先に死にますからねw)、一人で怖がらず、世の中を歩いて行けるようにするのが親の役割だと思います。
自分で金を稼ぎ、食事を作り、強いからだと心を持って、一人でも生きていける。
そんな子になってくれたらなと思います。

先日、幼稚園の先生との座談会があり、色々なお話を聞きました。
それぞれのお母さんにも話を聞きたいと、全員とじっくり向き合ってくれました。
具体的な質問や悩みを話すお母さんもいたし、もう、小さなことではあんまり悩まないというか、大事なのはそういうこっちゃないんだというようなお母さんもいました。
やはり、三人以上育てている人や、十年以上子育てをしている人にそういう傾向があるように思えました。

私自身は子どもが好きとか、目に入れても痛くないとか、子どもと遊ぶの大好きー! とか、そういうタイプではなく。
どちらかというと子供を産み育てるのは私の義務であり仕事であるという感じでした。嫌悪感があったわけじゃないですよ。やるべきことをやったまで、というか……ま、大体そんな感じで。

だからかな……子どもは、私とは別の生き物。勝手に育ってく。親が出来ることなんてそんなない。ていうかほとんどない。
私が、親が人生を楽しんでいれば、ああ人生っていいものなんだろう、きっと楽しいんだろうと思うはず。
私が笑っていれば、自分が大好きなお母さんが(子どもは無条件で親が好きですね。有難いものだ)笑っているからきっと今はこれでOKな状態なんだろう、と思うだろう。
この世は結構いいところらしい。
私を見て、子どもがそう思ってさえくれれば、あとはなんかもうどうでもいいのかなと。(笑)
昔は、私の人生に子どもは邪魔だとか、やりたいことを邪魔する存在だとか、そんな風に思った事もありました。
でも今は、こんな風に、私は、私の、私だけの人生を楽しんで生きることが、子どものためにもなるんだなーと思っています。
私の都合で振り回すこともあります。もちろん、それで自己嫌悪することもあります。
でも、それが嫌だと思うなら、早く自立して、自分は自分で生きて行ってほしいのです。
私は子どもの人生を生きてやることは出来ません。
子どものために自分の時間を費やして、無理をすることは、子どもも喜ばないのかなと思います。言い訳かもしれないけど。
私はただ、一緒に生きているだけです。
そばにいて、手本になるだけです。
だったら、なるべく格好良く、前を向いて、恥ずかしくない人生を、思い切り楽しんでいるしかないのかなって。
毎日笑って、家族仲良く。
この世はいいところだ、人生って最高、なんて楽しいんでしょう。
私は今日も、そう思って、それ以外のことはあまり考えず(笑)、一生懸命生きています。

育児論から、最後は私の人生論になっちゃいましたけど、まとめることが出来てとても嬉しいです。
書こうと思ったきっかけを下さった青木先生、読みたいと言ってくれたまり子ちゃん、私が産んだ子だけど、幼稚園の子はみんな自分の子と言って下さる幼稚園のS先生、ありがとうございます。
子育てに必要なことは、お父さんとお母さんが仲良くしていることだけだよと言ってくれたタヌもありがとう。あの頃、あなたのその言葉がどれだけ励みになったことか。
こーさん、泣く娘を抱くのが辛いと嘆いていた私に、我慢して抱っこするくらいなら、抱っこしないで辛い顔を見せない方がいいんだと言ってくれてありがとう。あなたの支えなしにはやってこられませんでした。
お母さん仲間、幼稚園の園長、理事長、先生職員のみなさん、友達たち、両親、子どもたち、みんなみんなありがとう。^^

あー、幸せ!
さっ、幼稚園のお迎えに行ってこようっと。
洗い物なーんもできなかったなあ~。ま、いっか!www

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