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「兄弟でも違う」という話について [ミノ&ハツ&タン]

「同じ親に育てられた兄弟なのに違うものねえ」なんてセリフを聞くことがあります。
その度、心の中で「当たり前じゃねえか、違う人間だものよ」と反発してしまいます。
そもそも、なんで兄弟が似てるっていう発想になるのか、私には理解不能。
そりゃ家族だからある程度同じ価値観を共有していることもありますし、大人になって外に出て、そうかあれは「うちだけのもの」だったのだなあなんて思うこともあります。
でも。
兄弟姉妹だから似ている、と思ったことはないんですよね。
あくまで、よその家と比べて共通項が多め、という程度で。

特に、兄弟の位置関係(長兄であるとか、末子であるとか)で、性格が違っていくことはもう本当にあると思います。
血液型だとか星座だとかよりよっぽど、兄弟の人数や立場で性格が変わりますね。

先日、ああこういうことで違っていくよなあと実感したことがあったので、ちょっと書いてみようと思います。

それは、ソーセージの買い忘れで、一袋にあと数本しかなかった朝のこと。
うちでは毎朝ソーセージを一人一本食べるのですが、その日は3~4本だったと思います(うちは5人家族)。
私は「まあいいや、別になくても」と思いました。
長女も、私のその対応を見たからなのかどうかは分かりませんが、「別にいいよ、私も」と続きます。
そして次女と末っ子長男は「わーい」となりました。

同じ家庭、同じ両親……同じ同じと言いますが、そこでする体験はそれぞれ違います。
見本としている対象者も、それぞれ違います。

長女は、母親が遠慮したのを見て自然と遠慮することを覚えますが、そこで譲ってもらった下の子たちは、譲ってもらえたという経験を重ねることで、自分だけが遠慮するということは身に付きません。
いいとか悪いとかではなく、積み重ねる経験によって、自然と違っていくんですよね。

私自身は末っ子でしたが、兄二人とは年が離れていて、譲ってもらったというよりはほとんど一人っ子のようになんでも与えられて育ちました。
なので、自分だけが遠慮して誰かに譲る、という経験はあまりありません。
ソーセージ、本当は食べたかった。
でも、母親としての経験上、また自尊心や、愛情などから、子どもに譲りました。
長女は小さなころから自然と誰かに譲ることを覚えました。でも我慢してきた、ということもよく言います。本当は譲りたくないのに譲ってやっているのに相手は感謝が足りない、というような。
私とは違う感情を抱いて、私とは違う性格に育つんですよね。当たり前だと思います。
そして次女は姉に守られ、譲ってもらって、育ちました。まったく無自覚です。姉が我慢していることなんて気づきもしません。でも、小さい子には優しい次女です。自分がしてもらったことを、小さな子にはしてやろうと思うのかもしれません。そこに「我慢」はないようです。

生まれながらの性格と、後天的な経験によって作られる人格と、様々なものが複雑に絡み合って人は構築されていきます。
同じ家に、同じ両親をもって育った兄弟が似るようになるとは、私には思えません。
今日もミノはミノらしく、ハツはハツらしく、そしてタンもタンらしく、自由に生きています。それでいいと思います。
別に比較することもなくて、似ているとか、違うとか、いう事もなくて、それぞれがそれぞれに、色々考えてやってくれればいいと思います。
そして自分が自分らしくいられて、幸せでいられる人生を、模索してくれればいい。
私は親ですが、何も教えられません。
自分の人生は、自分で作っていくしかないから。
悩み、苦しみ、悲しんで、自分をいつくしみ、愛して……周りの人たちと、自分の人生を豊かにするために歩いていってほしいなと、思います。
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