難しい問題 [タン 5歳~]
難しい。
タンが、お腹痛いとか言うのです。
お昼の時に痛くて、それはたぶんプールで寒くてちょっと痛かっただけかと思うの。
でも「今は平気だけど、蹴られたら痛くなっちゃうかもしれないから……(=行きたくない)」というのを見て、どうしたもんかと思う。
甘やかすことやわがままを許すことと、子どものSOSが出ているのを無視して無理にやらせることは明らかに違う。
これは正論。
結果として、それは「全然違うこと」になる。
けど、問題は。
ごくごく初期の段階では見分けがつかないってこと。
「いきたくなーい」
「もう習い事やめる~」
これが子どものどういうメッセージなのか、即座に分かる人はいないと思う。
我がまま言うんじゃありません。あなたがやりたいって始めたことでしょう。最後までがんばりなさい。
そういう親もいるでしょう。
嫌なことあったの? 無理にやることないよ。今日は嫌なら休もうか。
そういう親もいるでしょう(どっちもちょっと極端だけども)。
子どもは無意識で、自分が本当に辛いのかどうか分からないことも良くあります。
後から考えればあれはSOSだった。そういうことは多々。
親なら分かるでしょう。
そんなの幻想です。
毎回「これどうなんだろう」、そう思っています。
習い事も、学校も、私が通ってるわけじゃないし、ずっとついて見ているわけじゃない。
そこで何があったのか、見てたって完璧に分かるわけじゃない。
先生やお友達に言われたほんの一言が(相手の好意によるものであっても)子どもを傷つけることはままあるし、同じ言葉に耐えられる子もいれば無理な子もいる。
辛くても、ちょっと頑張って、無理をしても、それで乗り越えて自信をつけて、強い子になっていくこともあるでしょう。
でも周囲の目を気にして辛いと言い出せず、頑張った挙句壊れてしまう。そんな話もよくありますよね。
子どもが「いやだ」と言い出した時。
親はそれをどう受け止めるべきなのか。
これは本当に難しい問題です。
親もただの人間だし、子育てはいつだって体当たりで、特に最初の子はいつだって新鮮な問題をもってきます。
もちろん、二人目以降の子だって、一人目とは性格も置かれた環境も違うのだから、一人目の時の判断がそのまま適用されるわけじゃありません。
間違えることは確実にあります。
不安です。
でも、「親」って仕事は、自分の判断に自信を持ってやらないといけない場面も多いように思います。
だって親が自信なくて、いつも「これでいいのかな」「間違ってるかも」「どうしようどうしよう」って言ってたら、子どもも心配になっちゃうと思うから。
「大丈夫よ。お母さんを信じて。安心してついてらっしゃい」
そんな風な態度でいてあげたいと思うのです。
でも。
内心はいつだって「これでいいのかああ?!?!?!」です。
一つだけ自信があるとすれば。
いつだって一生懸命考えています。
間違えたら、謝って、直したいと思っています。
努力して、いい親でいたいと思っています。
子どもが欲しいと言わなくても、たくさんの愛を与えたいと思う。
多少はウザがられても、大人になってから「愛されてたんだな」って思い返してほしいから。
逆に、例え子どもに嫌がられても、大切なことは言いたい。
嫌な思いをしたり、我慢したり、理不尽な目に遭ったり。そんなことも成長だと思うから。
そんな風に色々考えて、いつも「一生懸命」やっています。
それだけは自信がある。
いつだって間違えてるかもしれないと不安です。
今日の「お腹痛い」を、私は「大丈夫よ、行ってらっしゃい!」と言いました。
久々でちょっと引っ込み思案になってるだけだと思ったから。
でも、間違えてるかもしれない。
もう空手は辛くて、楽しめなくて、辞めたいと思っているけれど、親が喜んでいるから言い出せないだけなのかもしれない。
そんな不安がずっと付きまといます。
今はまだ話せない。
こんな弱い私をさらけ出せません。
でも、いつか。
いつか、大きくなった息子や娘たちが、このブログを見て、この記事を読んで、お母さんも悩んで迷って、でも一生懸命やってくれたんだな、と、思ってくれたらいいな。
間違えてたらごめんね。
きっとたくさん間違えてるよね。
あなたたちに、嫌な思いもさせてるよね。
ごめんね。許してください。
なるべくあなたたちの無言のメッセージを受け止められるように、これからも精進するからね。
いつだって大好きだし、愛しているよ。
今日のご飯は麻婆豆腐ナスだよ。
ナス嫌いな人も、豆腐嫌いな人も、美味しく食べられるようがんばって作るからね。
他にも食べられるものも用意するからね。
家族そろって、美味しく楽しく食卓が囲めますように……。
タンが、お腹痛いとか言うのです。
お昼の時に痛くて、それはたぶんプールで寒くてちょっと痛かっただけかと思うの。
でも「今は平気だけど、蹴られたら痛くなっちゃうかもしれないから……(=行きたくない)」というのを見て、どうしたもんかと思う。
甘やかすことやわがままを許すことと、子どものSOSが出ているのを無視して無理にやらせることは明らかに違う。
これは正論。
結果として、それは「全然違うこと」になる。
けど、問題は。
ごくごく初期の段階では見分けがつかないってこと。
「いきたくなーい」
「もう習い事やめる~」
これが子どものどういうメッセージなのか、即座に分かる人はいないと思う。
我がまま言うんじゃありません。あなたがやりたいって始めたことでしょう。最後までがんばりなさい。
そういう親もいるでしょう。
嫌なことあったの? 無理にやることないよ。今日は嫌なら休もうか。
そういう親もいるでしょう(どっちもちょっと極端だけども)。
子どもは無意識で、自分が本当に辛いのかどうか分からないことも良くあります。
後から考えればあれはSOSだった。そういうことは多々。
親なら分かるでしょう。
そんなの幻想です。
毎回「これどうなんだろう」、そう思っています。
習い事も、学校も、私が通ってるわけじゃないし、ずっとついて見ているわけじゃない。
そこで何があったのか、見てたって完璧に分かるわけじゃない。
先生やお友達に言われたほんの一言が(相手の好意によるものであっても)子どもを傷つけることはままあるし、同じ言葉に耐えられる子もいれば無理な子もいる。
辛くても、ちょっと頑張って、無理をしても、それで乗り越えて自信をつけて、強い子になっていくこともあるでしょう。
でも周囲の目を気にして辛いと言い出せず、頑張った挙句壊れてしまう。そんな話もよくありますよね。
子どもが「いやだ」と言い出した時。
親はそれをどう受け止めるべきなのか。
これは本当に難しい問題です。
親もただの人間だし、子育てはいつだって体当たりで、特に最初の子はいつだって新鮮な問題をもってきます。
もちろん、二人目以降の子だって、一人目とは性格も置かれた環境も違うのだから、一人目の時の判断がそのまま適用されるわけじゃありません。
間違えることは確実にあります。
不安です。
でも、「親」って仕事は、自分の判断に自信を持ってやらないといけない場面も多いように思います。
だって親が自信なくて、いつも「これでいいのかな」「間違ってるかも」「どうしようどうしよう」って言ってたら、子どもも心配になっちゃうと思うから。
「大丈夫よ。お母さんを信じて。安心してついてらっしゃい」
そんな風な態度でいてあげたいと思うのです。
でも。
内心はいつだって「これでいいのかああ?!?!?!」です。
一つだけ自信があるとすれば。
いつだって一生懸命考えています。
間違えたら、謝って、直したいと思っています。
努力して、いい親でいたいと思っています。
子どもが欲しいと言わなくても、たくさんの愛を与えたいと思う。
多少はウザがられても、大人になってから「愛されてたんだな」って思い返してほしいから。
逆に、例え子どもに嫌がられても、大切なことは言いたい。
嫌な思いをしたり、我慢したり、理不尽な目に遭ったり。そんなことも成長だと思うから。
そんな風に色々考えて、いつも「一生懸命」やっています。
それだけは自信がある。
いつだって間違えてるかもしれないと不安です。
今日の「お腹痛い」を、私は「大丈夫よ、行ってらっしゃい!」と言いました。
久々でちょっと引っ込み思案になってるだけだと思ったから。
でも、間違えてるかもしれない。
もう空手は辛くて、楽しめなくて、辞めたいと思っているけれど、親が喜んでいるから言い出せないだけなのかもしれない。
そんな不安がずっと付きまといます。
今はまだ話せない。
こんな弱い私をさらけ出せません。
でも、いつか。
いつか、大きくなった息子や娘たちが、このブログを見て、この記事を読んで、お母さんも悩んで迷って、でも一生懸命やってくれたんだな、と、思ってくれたらいいな。
間違えてたらごめんね。
きっとたくさん間違えてるよね。
あなたたちに、嫌な思いもさせてるよね。
ごめんね。許してください。
なるべくあなたたちの無言のメッセージを受け止められるように、これからも精進するからね。
いつだって大好きだし、愛しているよ。
今日のご飯は麻婆豆腐ナスだよ。
ナス嫌いな人も、豆腐嫌いな人も、美味しく食べられるようがんばって作るからね。
他にも食べられるものも用意するからね。
家族そろって、美味しく楽しく食卓が囲めますように……。
2017-08-30 17:53
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